「私より先に逝ってしまった」
お子さんを亡くされた親御さんが、多く感じることの一つです。
子どもの成長を見届けて、その幸せを見届けて、たくさん共有したいことがあったのに。
その「順番」が、根底から覆される。
子どもを亡くした親のグリーフは、グリーフの中でも最も深い喪失の一つとして知られています。
それは単に愛する人を失うというだけでなく、未来そのものを失う体験だからです。
子どもを亡くすということ
子どもを亡くすことは、複数の喪失が同時に起きる体験です。
今の子どもを失う喪失。
その子の笑顔、声、温もり、日常の中にいたその存在を失います。
未来の子どもを失う喪失。
成長した姿、進学、就職、恋愛、結婚、その子の人生に訪れるはずだったすべての場面が、失われます。
自分の未来を失う喪失。
親としての自分の役割、老後にそばにいてくれると思っていた存在、自分が逝くときに見送ってくれると思っていた人が、いなくなります。
これらの喪失が重なるため、子どもを亡くした親のグリーフは、回復に長い時間がかかることが多く、形を変えながら一生続くことがあります。
「なぜ」という問いの行き場
お子さんを亡くされた親御さんが、最も強く抱える問いがあります。
「なぜ、わが子が逝かなければならなかったのか」。
この問いに、答えはありません。
どんな言葉も、この問いを解決することはできません。
そしてその答えのなさが、さらに苦しみを深めます。
神への怒り、医療への怒り、自分への怒り、運命への怒り。
あるいは、何も感じられない麻痺状態。
深い悲しみ。
罪悪感。
生き残った罪悪感。
これらが複雑に絡み合い、言葉にできないほどの苦しみになります。
「もっとこうすればよかった」という後悔。
「気づいてあげられなかった」という自責。
「守れなかった」という痛み。
親としての自分を、責め続けてしまうことがあります。
しかしどうか、自分を責めることをやめてほしいと思います。
あなたはその子を深く愛していた。
その愛は本物でした。
夫婦での悲しみ方の違い
子どもを亡くした夫婦は、同じ喪失を経験しながら、悲しみ方が違うことがあります。
一方が泣き続けているとき、もう一方は仕事に没頭することで悲しみを処理しようとしている。
一方がその子の話をしたいとき、もう一方は話すことが辛くて避けたい。
その違いが、かえって距離を生むことがあります。
「あの人はもう忘れたのか」「なぜわかってくれないのか」という思いが、夫婦の間に溝を作ることがあります。
違いを責めるのではなく、「この人はこういう形で悲しんでいる」と受け取ることが、その分岐点になります。
その子は今、どこにいるのか
お子さんを亡くされた親御さんが、最も深く知りたいことがあります。
「わが子は今、どこにいるのか。幸せでいるのか」。
日常の中で、ふと感じることがあるかもしれません。
その子が好きだったものを見たとき、なぜか温かい気持ちになる。
その子の誕生日に、不思議な出来事が起きた。
夢の中で、元気な姿で会えた。
それは気のせいではありません。
ミディアムシップのセッションの中で、幼くして旅立った子どもからのメッセージが届くことがあります。
「僕はこんなにも元気だよ」
「心配しないで」
「お母さんのそばにいるよ」
どんなに幼くして旅立っても、その魂は続いています。
霊界に移行したその子の魂は、苦しみから解放され、愛に包まれた場所で存在し続けています。
そしてあなたのことを、今もそばで見守っています。
子どもを亡くした後の日々
その子との時間は、短くても、かけがえのないものでした。
その時間があなたの中に刻まれていることは、永遠に変わりません。
その子は、あなたに生きていてほしいと願っています。
あなたが笑える日が来ることを、待っています。
あなたがまた前を向けることを、どこかで応援しています。
あなたが生きていくことは、その子への裏切りではありません。
子どもを亡くした親の悲しみを、一人で抱え込まないでください。
その悲しみの深さは、その子への愛の深さそのものです。
そしてその愛は、形が変わっても、今も続いているということを忘れないでください。


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