幼少期のころ、母は病気を患いこの地上世界から霊界へ旅立ちました。
私の世界から、最も大切な存在が静かにいなくなった瞬間です。
あの日から何年も何年も、私はずっと、心にぽっかり空いた穴を抱えて生きてきました。
——しかし、母は私に「静かなメッセージ」を残していてくれたのです。
それは、母の引き出しにひっそりと遺されていた、1冊のスピリチュアルな本でした。
この本との出会いが、もう一度、母の“ぬくもり”と“声”に触れるきっかけになったのです。
母との思い出、失った悲しみ、そしてミディアムシップを通じて見つけた「魂の再会の物語」を、ひとつの心の旅として、綴っています。
誰かを亡くした悲しみを抱えるすべての人へ。
あなたの心にも、やさしい灯りが灯りますように。
幼少期の母との思い出
私の母は、いつも優しく、私を包み込むような存在でした。
小さな手を握りしめて歩いた公園や、母の手作りの温かい料理の味、そして、夜寝る前に一緒に読んだ絵本の時間。
それらは今でも鮮明に心に残っています。
母は、私が学校で困ったときや友達と喧嘩したとき、いつも優しく話を聞いてくれました。
その温かい言葉と笑顔に、私は何度も救われました。
母の手のひらの温もりを感じながら、私は安心して眠りにつきました。
そのぬくもりが、私にとっての「安全地帯」。
そんな母と一緒に過ごす時間は、私にとって何よりも大切なものでした。
母の笑顔を見るだけで、心が温かくなり、どんな困難も乗り越えられるような気がしました。
しかし、私がまだ幼いころに母は癌を患い、5年間の闘病生活の末私の前からいなくなってしまいました。
闘病中は入退院を繰り返していたため、病気を患ってからはあまり一緒に過ごすこともできなくなっていました。
術後の治療もとても体力的にも精神的にも大変な時期をそばで見守っていましたが、その姿を見守ることしかできなかった私は、無力さと悲しみに打ちひしがれました。
母が亡くなってから、私はただただ呆然と立ち尽くしていました。
心の中で「どうして?」と叫び続けましたが、答えはどこにもありません。
母がいなくなった世界で、どこに向かえばいいのか分からずただ立ち尽くしてしまう。
心の中で何度も母の声を探し続けましたが、もう二度と、その声を聞くことはできませんでした。
空虚な日々 ——「遺された一冊の本」が灯したもの
母を失った私は、心にぽっかりと大きな穴が開きました。
そして、何が起きたのか頭では理解しても心がついていかず、ただただ立ち尽くしていました。
母の最期に言った言葉の意味は?
私にはもっとなにかできたのでは?
日常のどこを探しても、もう母はいないのに、心はそれを信じられずにいました。
母が亡くなったあと、母の遺品を整理していたときのことです。
引き出しの奥から、文庫本が何冊か出てきました。
その中の一冊に、私は手が止まりました。
・・・母が生前読んでいた本。
どんな内容の本を読んでいたんだろう・・・恐る恐るページをめくると
「愛は消えない」「魂はつながっている」「私たちは、また会える」
そんな言葉が書いてありました。
——私は、息が止まるような思いでした。
母は、病気と闘いながらも、「死のその先」に何かを信じていた。
その信じる力を、あの静かな眼差しの中に秘めていたのだと、初めて知ったのです。
それから私は、まるで導かれるようにその本を読み始めました。
「母が信じていた“つながり”とは何なのか」
「なぜ私は、こんなにも“会いたい”と願ってしまうのか」
一方で、日常では普通に振舞っていても、
夜になると、寂しさが一気に押し寄せてくることがありました。
母の声を思い出すたびに、涙が止まらなくなることもありました。
思春期になると自分でも説明できないような衝動に駆られていました。
思春期特有ともいうべき反抗期ともいうのでしょうか。
その奥には母がいないことの寂しさがあり、誰かに助けを求めたいのに、当時は助けの求め方もわからなかったように感じます。
しかし、あのとき母が残してくれた一冊の本は母からの“静かな手紙”のようで、まるで私に「あなたは決してひとりじゃないよ」と、時を超えて語りかけてくれているように感じました。
そして、その本をきっかけに私はスピリチュアルな世界に少しずつ興味を持ち始めました。
もちろんその本だけでは答えを得ることはできず、心の痛みも完全には消えることはありませんでした。
しかし、母の残した一冊の本を便りにその答えを探し続け、スピリチュアルな思想や、魂の仕組み、宇宙の法則、心理学や哲学書、仏教、人の心に関する本をむさぼるように読み漁る日々が始まりました。
そして、20年後、ミディアムシップというものと出会うことになります。
それは、亡き人とのコミュニケーションを通じて、心の癒しと導きを得る方法でした。
ミディアムシップとの出会いと心の変化
母を亡くしてから20年もの間、私はどれだけ本を読み、どれだけ自分を変えようとしても、私自身の「心の穴」その穴は埋まりませんでした。
大人になって社会人になり、社会的には表面上は「しっかりしている人」と見られるようになったかもしれません。
でも、夜になると涙が止まらなくなる日もあり、母に会いたい気持ちはずっと変わらなかったのです。
そんなある日、「ミディアムシップ」という言葉がふと目に留まりました。
ミディアムとは、霊界とこの世をつなぐ霊媒師の存在。
そして、ミディアムシップとは、亡くなった魂とつながり、今は亡きあの人の声を届けること。
なんとなく心が惹かれるように、その世界を覗いてみることにしたのです。
最初は半信半疑でした。
「亡くなった人の声が聞こえるなんて、本当にそんなことがあるの?」と。
けれど、私は何か大きなものに包まれるような感覚を覚えたのです。
そして実際に、私のミディアムシップの体験は、まるで母がそっと背中に手を添えてくれているような、そんな優しさとあたたかさが胸いっぱいに広がりました。
ミディアムが私に伝えた言葉は、誰にも話したことのない母との思い出や出来事でした。
幼いころとの私と母の大切な記憶・・・、幼少期のクリスマスの何気ないひと時、母と過ごしたピアノの時間、母の手先の器用さ、そして母が知るはずのない私が結婚した後に抱えた悩みまで・・・。
(だって、母は私が結婚するずっとずっと前に亡くなっていたのですから・・・!)
私自身でさえ忘れかけていた記憶を、母はそのまま、そっと差し出してくれたのです。
涙が止まりませんでした。
「私は、ひとりじゃなかったんだ」
「亡くなっても尚、今でも私の成長を見ていてくれている」
と、ようやく心の奥底から思うことができたのです。
その体験をきっかけに、私は本格的にミディアムシップを学び始めました。
それは、セッションの技術だけでなくフィロソフィーを土台とした学び。
人の魂や死後の世界、そして“つながり”の意味を、深く理解していきました。
今、私はようやく「心の穴」に静かな灯りをともせるようになりました。
心の癒しへ導かれて
母の愛に再び触れたあの日から、私の中の時計は静かに、けれど確実に動き出しました。
「癒し」という言葉は、ときに簡単に使われてしまいます。
でも、ほんとうの癒しとは、痛みや喪失がなくなることではありません。
むしろ、それらを抱きしめて、自分の人生の一部としてやさしく共に歩んでいくこと。
私はそれを、ミディアムシップから学びました。
ミディアムシップを通して、霊界は遠いどこかにあるのではなく、すぐそばに存在しているという感覚を受け取ったとき、それまでの世界の見え方が静かに、でも確かに変わっていきました。
私がセッションを通じてできること、それは魂は死後も存在して今も尚私たちのすぐそばにいるということを感じていただくこと。
それは、目に見えないけれど「ひとりじゃない」と感じられる体験。
大切な人の魂は、この世界から消えてしまったのではなく、形を変えて、私たちのそばに在り続けている——そのことが、知識ではなく“感覚”として心に届いたとき、私自身、過去の痛みや喪失の悲しみをやさしく抱きしめられるようになりました。
今、私がミディアムとして活動しているのは、そんな“気づき”が、誰かの心を照らす灯りになればと思うからです。
痛みを消すことも、過去をなかったことにすることもできません。
でも、私たちがその痛みを抱えながらも自分自身を信じ、歩き出せるように、霊界はそっと背中に手を添えてくれています。
私は、かつての私自身に向けるような想いで、今、この道を歩んでいます。
もし、あなたも心に「会いたい誰か」がいるなら
もしかしたら、あなたも「大切な誰か」とのお別れを経験されたかもしれません。
そして、長年の悲しみから抜け出せずにいるとしたら。
それは、決して「弱さ」ではありません。
それは、あなたが深く人を愛し、つながりを大切にする人だからこそ感じる“魂の感度”です。
言葉にならない気持ちを、無理に整える必要はありません。
涙を止めなくていいし、無理に笑う必要もありません。
私たちの愛する霊界に旅立った人たちは、いつでも私たちを応援してくれています。
霊界はいつでもどんなときでも手を差し伸べてくれているのです。
そして、それは私たちが心をオープンにすることでいつでも受け取れるということを一人でも多くの人に感じて頂ければ幸いです。


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