モーリス・バーバネルとは

3月

「シルバーバーチの霊訓」でおなじみ、霊媒のモーリス・バーバネル。

彼の生い立ちと、シルバーバーチの霊訓までのいきさつを今回はまとめてみました。

どのようにシルバーバーチの霊訓は生まれたのか?

是非、ご興味のある方はご一読ください。

モーリス・バーバネル

1902年ロンドン生まれの若者の名はモーリス・バーバネル

1920年、当時18歳だった彼は心霊家の招きでロンドンの東部地区で催されていた交霊会に出席することに。
その交霊会には二度目の出席、その席ですっかり眠り込んでしまった彼は目覚めてから出席者へ慌てて失礼を詫びました。
すると、別の出席者から「居眠りをなさっている間あなたはインディアンになっておられましたよ。名前も名のってましたが、その方はあなたがお生まれになる前からあなたを選んで、これまでずっと指導してこられたそうです。そのうちスピリチュアリズムについて講演なさるようになるとも言ってました」と告げられます。

バーバネルが居眠りの最中何が起こっていたのか。
それは高級霊が彼を霊媒として入神し、彼の口をついて出席者へ教説を述べていたということ。

この交霊会なるものは霊媒を通じて死者の霊と交信したり心霊現象を観察したりする会で、この会への出席も当時不可知論者だった彼は冷やかし半分のつもりでした。
しかし、自分の身がその霊媒となるとは到底思ってもみない出来事でしたが、これが彼の人生の転機となっていきます。

ハンネン・スワッハー・ホームサークル

あの出来事以来、バーバネルは交霊会に出席するたびに高級霊が彼を霊媒として入神し、出席者へ教説を述べるようになりました。
そして、バーバネルが参加するこの交霊会に2年後の1924年、大きな転機が訪れます。
当時“フリート街の法王”(ロンドンの“フリート街”は、新聞社が集まっていた地区)と呼ばれていたイギリスのジャーナリスト、ハンネン・スワッファーがこの交霊会に参加するようになったのです。

スワッファーは次のように述べています。
「私とシルバーバーチとの出会いは1924年、私がスピリチュアリズムの真実性を確信して間もない頃のことでした。以来、私は毎週1回1時間あまり、シルバーバーチの教えに耳を傾け、助言をいただき、いつしかその霊を地上のいかなる人物よりも敬愛するようになりました。」

心霊主義者でもあったスワッハーはその後、自宅でシルバーバーチの交霊会を催すことになり、1930年にハンネン・スワッファー・ホームサークルを発足。
このサークルは、バーバネルが指導的立場となり、シルバーバーチの交霊会として以後彼が亡くなる1981年まで続いていくことになります。

ホームサークルの様子

シルバーバーチの交霊会「ハンネン・スワッファー・ホームサークル」は、毎週金曜日の夜、週に一度開かれました。

当初はごく少人数の集まりで、「物理的心霊現象」と同時に「霊界通信(入神談話)」が語られるといった形で進められました。
交霊会の初期は「物理的心霊現象」がデモンストレーションとして利用されていましたが、こうしたことと並行して、霊界側から交霊会の参加者に対しての働きかけもなされました。

交霊会は

  • 通信霊
  • 霊界サイドの協力者(霊団)
  • 霊媒(例:モーリス・バーバネル)
  • 出席者(サークルのメンバー)


という4つの要素から成り立っているため、それらがどのような連携状態(調和状態)にあるかによって交霊会全体の質(調和状態)が決定することになります。

「シルバーバーチの交霊会」では、回を重ねるごとに出席者(サークルのメンバー)と霊界サイドの協力者(霊団)の連携レベルが向上し、交霊会全体の調和状態が高められていきました。
その結果、出席者の顔ぶれが入れ替わり、より霊性の高い人間、スピリチュアリズムの使命を担うに相応しい人間が集められました。

交霊会の質を決定するもう一つの重要な要素が、交霊会を霊界サイドから支え推し進める“霊界サイドの協力者(霊団)”そのものの内容です。
高級霊による霊界通信は、「通信霊」が単独で行うようなことはありません。
スピリチュアリズムの霊界通信では必ず“霊界サイドの協力者(霊団)”が組織され、霊団のメンバーの協力体制のもとで通信が行われます。
霊界側に多数の霊からなる“霊団”が形成され、これらの霊たちが「地上に通信を送る」という目的のもとに団結し、交霊会の推進にあたりました。

このように、霊界サイドから「霊界通信」のレベルアップのために試行錯誤の努力が続けられてきました。
そして「霊界通信」のレベルが向上するにともない物理的心霊現象は姿を消し、やがて「霊界通信」だけの交霊会になったのです。

そしてハンネン・スワッファー・ホームサークルという、素晴らしい交霊会が実現したのです。

サイキックニュース紙創刊

バーバネルが入神中に語られる言葉は雄弁で、その教説は多くの出席者の心を動かしました。
ハンネン・スワッファー・ホームサークルで語られる高級霊の言葉に感激したスワッハーは、これほどの霊訓をひと握りの人間しか聞けないのはもったいないと考え、この交霊会での記録をまとめたものを紙面で発刊しようと検討します。

高級霊の語るその美しい言葉に惹かたのはスワッハーだけではなく、ハンネン・スワッファー・ホームサークルへ訪れたアーサー・フィンドレーもその一人でした。

スワッハーは、バーバネルとアーサーへこの話を持ち掛けますが、紙面に掲載する際にこの高級霊の愛称が不適当ということに。
というのも、バーバネルを通して語るその高級霊には当初「ビック・ジャンプ」との愛称がついていたのです。
その愛称では相応しくないということで、高級霊本人自ら名を選び、以後その高級霊は「シルバー・バーチ」(白樺)となりました。
そして、1932年にサイキック・プレス社から「サイキックニュース紙」が創刊され、以後、愛称をシルバー・バーチとし、彼が交霊会で語る霊的教訓が掲載されるようになりました。

シルバーバーチの愛称が決まった翌朝のエピソードが、バーバネルの「遺稿 シルバーバーチと私」でこのように書かれています。
「不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀糸の樺の木(シルバーバーチ)の絵葉書が入っていた」
※常識では、距離的に考えてすぐ翌朝に届く筈はないとのこと

シルバーバーチの霊訓

「シルバーバーチの交霊会」では、シルバーバーチ霊が語る言葉は点字速記によって書き留められました。
その内容は定期的に“サイキック・ニューズ紙”や“ツー・ワールズ誌(1887年エマ・ハーディング・ブリテンにより創刊)”に掲載され、大きな反響を呼びました。

当初、交霊会は暗闇の中で行われたため、点字速記が威力を発揮することになりました。
たいていの場合、シルバーバーチはゆっくりと語りますが、時には早口になることもあります。
そんな時でも文字にしたものを見ると、一語たりとも訂正する必要はなかったと言われています。
後ですることといえば、句読点を書き込むだけ。
それほどシルバーバーチの英語は完璧だったということが覗えます。

スワッファーはシルバーバーチが語る誌葉について
「いったん活字になってしまうと、シルバーバーチの言葉の崇高さ・温かさ、その威厳に満ちた雰囲気の一片しか伝えることができません。交霊会の参加者はシルバーバーチの言葉を聞いて、思わず感涙にむせぶことさえあるのです」と述べています。

当時、サイキックニュース紙の編集を務めていたのはバーバネルでしたが、スワッハーの勧めで編集長が交霊会で語っている内容を掲載しているという事実はその後20年以上伏せられていました。
しかし、ツー・ワールズ誌にて、1957年に霊媒はだれかという審議にバーバネル自ら終止符を打つかたちとなります。

シルバーバーチの交霊会は、1981年のバーバネルの死をもって終了しましたが、交霊会で語られたシルバーバーチの霊言は、膨大な量に及んでいます。

その後、シルバーバーチの霊言はハンネン・スワッファー・ホームサークルのメンバーによって編集され、『シルバーバーチの霊訓』として広く出版されるようになりました。

現在、英語圏以外の国で『シルバーバーチの霊訓』の全巻が翻訳・出版されているのは、日本だけのようです。この事実は、翻訳者の近藤千雄氏の大きな貢献に他なりません。書籍『古代霊は語る』のあとがきで、近藤氏は次のように述べています。
「シルバーバーチとの出会いは、私の思想と人生を方向づける決定的な意味を持つものであった」

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